項目

自治労府職の意見

府の見解

災害の想定について 原子力防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲(EPZ)は、防災指針を十分尊重して、京大原子炉、原燃工から半径500mの地域などとしているが、それぞれの対象施設からの事故想定をもとに設定すべきである。 EPZの範囲については、原子力安全委員会が示す防災指針をもとに、専門家等の意見を踏まえ判断したものである。

 

計画の基礎とするべき災害(事故)の想定を示している点を評価するが、事故による放射性物質及び放射線の放出形態だけでなく、放出量と予想される被曝線量等も示すべきである。 仮想事故等による放射性物質の放出量及び被ばく線量等可能なものについては、計画関係資料編等で示すことを検討していく。
計画の基礎とするべき災害(事故)の想定においては、事業所外の運搬事故についても示すべきである。 原子力災害応急対策第1章第20節に記載のとおり、事業所外運搬については、万が一の事故を想定し、原子力事業所内における事故に準じた防災対策を講じることとしている。
原子力災害応急対策基本方針について

原災法で定める事象に該当しない事故について、事故に対する周辺住民の不安、動揺等の緩和を図るため、周辺住民への情報提供、注意喚起を行うなどの対策を講ずるとしているが、このような対策では不十分である。原災法で定める事故同様に住民の安全確保対策を講ずると記述すべきである。 特定事象に至らない事故については機械的なトラブル等種々の形態が考えられるものであり、今後の検討課題としたい。

 

府の組織動員について

原子力事故対策本部を原災法10条の通報があったときに、災害対策本部を原災法15条の緊急事態宣言のあったときに設置するとしているが、10条通報があった段階で災害対策本部を設置すべきである。 特定事象が発生した場合は、事故対策本部又は災害対策本部を設置することとし、その運用については今後検討していく。

 

緊急時環境放射線モニタリング等の実施について

原災法で定める事故に該当しない特定事象発生後の段階(原災法10条の通報後の段階)で、緊急時環境放射線モニタリングの準備を行うとしているが、準備だけでなく緊急時モニタリングの実施を行うべきである。 特定事象発生後は、中央監視局において環境放射線モニタリングシステムを平常時モニタリングから緊急時モニタリングに切替えて実施する。

 

緊急時環境放射線モニタリング等の実施について

緊急時の第一段階モニタリングの測定項目では、環境試料(飲料水、葉菜、原乳及び雨水)中の放射性ヨウ素、ウラン濃度とされているが、放射性セシウムを加えるべきである。 緊急時の第一段階モニタリングは、原子力緊急事態の発生直後において初動の対応の判断に資するために迅速に行うものであり、放射性セシウムについては、分析に時間を要し、より広範囲な結果が求められる第二段階モニタリングで実施する。
広域応援等の要請・受入れについて

指定行政機関等の長への職員の派遣要請等は、文書で行うとしているが、いとまがない場合は電話等でできる旨のただし書きを設けるべきである。 職員の派遣については、応援と比較して原則として長期にわたるほか、職員の身分が派遣先と併任となる等の理由で、手続きについては慎重に行う必要があり、文書に基づいて行う。
屋内退避・避難誘導について

退避及び避難に関する指標は、防災指針を引き写すのではなく、想定事故による予測線量から独自に低い値を設定すべきである。 屋内退避及び避難に関する基準は、防災指針の指標を踏まえ、放射性物質及び放射線の放出形態から専門家の意見を聞き、被ばく線量を評価し、国の基準を採用したものである。
屋内退避・避難誘導について

「第1 屋内退避及び避難に関する指標」で、屋内退避及び避難の措置を「国の勧告又は指示を踏まえ」行うとしているが、この「国の勧告又は指示を踏まえ」を削除すべきである。 原子力応急対策第1章第13節第2「屋内退避・避難の勧告・指示」に記載のとおり、必要な場合、自治体の判断でも行うことができる。

 

医療救護活動について

ヨウ素剤の服用の防護活動は「国の原子力災害現地対策本部より指導・助言があったとき」とされているが、独自の判断でもできるようにすべきである。あるいは「国の指導・助言があったとき」と表現すべきである。 ヨウ素剤の服用にあたっては、副作用の問題もあることから、国の緊急被ばく医療派遣チーム等の専門的知見による総合的判断を経ての対応が重要と考えている。
参考資料について

 

参考資料として示されている「(株)ジェー・シー・オーにおける臨界事故について」は、出典、作成日時が示されておらず、不親切である。 当該資料は、原子力安全委員会が作成し、インターネットのホームページに掲載したものである。当委員会に確認したところ、作成日は不明であった。