機関紙「自治労府職」

 2001年8月1日号

2001
人勧交渉


一時金切り下げ示唆
育児休業・介護休暇期間は延長へ


 公務員連絡会は6月20日に人勧期要求を提出して以降、要求実現に向けた取り組みを強め、7月19日には中央行動を配置して人事院と交渉したが、公務員制度改革をめぐる状況や春闘結果などの厳しい情勢のなか具体的な内容が明らかにされなかった。31日の交渉では、本年の勧告に向けた現時点での人事院の考え方を再度質した。
 交渉で人事院の大村勤務条件局長は、@給与較差は若干のプラスになるが配分は決めていない、A一時金は民間の支給実態が悪く、切り下げが避けられない厳しい状況、B育児休業・部分休業の対象年齢の延長(1歳未満から3歳未満へ)、介護休暇の延長(現行3カ月から6カ月)などは来年4月から実施できるよう対応したい、C勧告日は来週中には行いたい、などの考え方を示した。
 これに対し、公務員連絡会は、@配分が今の段階で明らかにされないのは問題、較差があればそれを埋める方向で対応すべき、A一時金切り下げによる3年連続の年収減は耐え難い、支給月数の維持で努力すべき、B育児休業は家庭生活と職業生活の両立支援が目的であり、単純な期間延長だけでなく男性取得の促進策を提案すべき、などと主張し「回答内容はきわめて不満であり到底納得できない」として再検討するよう強く申し入れ、3日に再交渉することとした。
 交渉を踏まえ公務員連絡会は同日、企画調整委員・幹事合同会議を開き今後の取り組みを協議。一時金をめぐる厳しい情勢を踏まえ、8月3日を緊急行動日に設定、@緊急全国統一行動、A職場からの緊急打電行動、B緊急中央集会の実施と再度の勤務条件局長交渉など人勧期の行動を強め、6日の週に予定する総裁との最終的な交渉に結びつけていくことを確認した。


職業訓練手当の改善など労働条件向上と
労働行政拡充に向け決起

労働支部

 新行財政計画の策定を進める府当局が、労働行政全般や労働事務所の見直しなどを議論するなか、労働支部は労働行政の後退につながる安易な改悪を許さず、職業訓練指導員のさらなる地位・労働条件の向上を求めて7月26日夜、エルおおさかで決起集会を開き仕事を終えた組合員が集まった。
 主催者を代表してあいさつした上田支部長は「労働者をとりまく厳しい社会状況のなか、とくに中小零細企業が多い府内の雇用対策、急速に変化する労働環境に対応した労政・労働福祉施策の展開は緊急の課題だ。地域に密着して国・市町村・地域の労使団体との連携で行政を進める『労働事務所』の機能はさらに強化されてしかるべきだ。また、次代の担い手を育てる職業訓練指導員の処遇改善、とくに職業訓練手当が特殊勤務だという矛盾を追及し本来の給与としての措置を求めていきたい」と語尾を強めて訴えた。
 本部の大橋委員長も「新行財政計画の公表が近いが計画に対する活発な意見を寄せてほしい」とあいさつ。
 労働事務所の非常勤職員が結集する、女性就業援助相談員労組の松谷委員長も「私たちも女性労働者の支援のため労働事務所で働き続けたい。皆さんとともに取り組みを強めます」と連帯の言葉を述べた。
 山嵜書記長からは、この間の経過報告と今後の意思統一で、@労働事務所・労働政策問題では部当局との政策協議をさらに強める、A職業訓練手当は本年秋までを取り組み強化期間として本部・府労連を通じて強く改善を求め、分会・職場の意見を集約し手当の調整額化を追求する、と提起され全体の拍手で確認された。
 また、支部内設置の職業訓練協議会の田村議長と、労政協議会の佐々議長からは、支部と連携しながら職場の取り組みを強め、自治研活動もさらに進めるとの決意表明があった。集会では「総合的労働行政の構築と地域拠点としての労働事務所の機能強化をもとめ、職業訓練手当の改悪に反対する決議」が久保執行委員から提起され全体の拍手で確認。渡部副支部長の団結ガンバローで意思統一した。


小泉旋風吹き荒れる厳しい参院選のなか
あさひ俊弘さん・山本たかしさん当選


政治情勢が厳しくとも 展望を切り拓く

 政権交代で日本を変える−自治労府職が参院選で推薦したあさひ俊弘さん、山本たかしさんは激戦のなか、見事当選した。政権交代には及ばなかったが、私たちの代表としての今後の活動が期待される。

 7月29日に実施された参議院選挙で自治労府職は、比例区で自治労組織内の「あさひ俊弘」さんの再選と、大阪選挙区において「山本たかし」さんの当選をめざして全力で取り組みを進めてきました。その結果、両氏とも勝利することができました。酷暑の中、様々な行動にご協力いただきました各単組、各支部の役員並びに組合員の皆さんに心から感謝申し上げます。
 今回の参議院選挙は小泉内閣の驚異的な支持率の中で行われ、私たちは「真の改革を進めるためには政権交代が必要であることを訴えてきましたが、目標とは程遠い結果となりました。
 自民党と自公保連立政権の大勝で、国会における政治情勢は一層厳しくなりますが、自治労府職は直面する人事院勧告期に向けた取り組み、公務員制度改革及び大阪府行財政計画に対する取り組みなど、当面する闘いに全力をあげる中から、新たな展望を切り拓いて行かなければなりません。引き続き、組合員の皆さんのご協力をお願いします。
自治労府職執行委員長
大橋 敏博



公務員制度改革大綱に向け交渉開始
労働基本権確立の方向性を追及

対策本部


 公務員連絡会の対策本部は7月25日、政府の行革推進事務局と交渉し「公務員制度改革の基本設計」の提示を正式にうけ、12月の「公務員制度改革大綱」策定に向けた交渉を始めた。
 組合側が、交渉・協議に臨むスタンスや12月策定の「大綱」の性格、スケジュールなどを質したのに対し、行革推進事務局側は、@「大綱」策定に向け具体的な制度設計を進める検討作業では、当然、職員団体との間で誠意ある交渉・協議を行う、A推進事務局は今後、制度官庁や関係省庁、専門機関の人事院や民間からも協力を求めスタッフを増員し8月中旬以降に体制を固め、その後、職員団体との交渉に臨む体制をつくるため具体的な課題での交渉は9月から開始、B「大綱」では改革に向けた法制化などの具体的な内容、平成17年度までの集中期間のスケジュールを明らかにする予定。閣議決定など、その性格は現段階で決まっていない、C「大綱」策定後の法改定作業と法案を国会審議に付託する時期は、早期の具体化が可能な項目は次期通常国会に提出したいが、給与制度など基本的部分はそうはならない、との見解を示した。
 組合側はこの見解に対し「基本設計」で労働基本権問題の結論を先延ばしたことに言及、「結論を出したうえでないと具体的な制度改革の交渉・協議に入れない」と主張し、早急な労働基本権確立の方向性を示すよう求めたが、推進事務局側は個別課題の検討が前提で現時点では答えられないとの見解を述べるに止まった。


ピースアクション2001
沖縄平和行進

参加者からのメッセージ 終

社保労組・福永健志
平和と基地の存在に揺れる沖縄の復帰はこれから

 灼熱の太陽、青い空、青い海を想像していた私が飛行機の窓から見た沖縄は、あいにくの曇り空。雲の隙間から少し海と島が見えるだけ、まるで平和と基地の間で揺れる今の沖縄を象徴しているかのようにふと思った。
 初日の結団式で、沖縄戦を経験した方が言われた言葉を聞き、さらにその思いを深めた。「沖縄は過去27年間、米軍の銃剣とブルドーザーによる直接統治、その後29年間は政府を継母とした米軍基地の実質影響下にある。昨今、基地縮小の話が出てきているが、これは米軍の役割を自衛隊に肩代わりをさせようとの戦略によるもので、決して手放しで喜べない。基地のない沖縄をめざして、本当の復帰をめざしてまだまだ、たたかい続けなければならない」と。
 翌日からの行進でも、多くの人々に出会った。お茶や黒砂糖を準備してくれた地域の人々、それを行進中の私たちまで手渡しに来てくれた子どもたち、夜の交流会でエイサー節で歓迎してくれた地域の青年団、交通渋滞を起こしているのに行進団が通過するまでじっと待つだけでなく車中から手を振ってくれる人々、基地撤去への思いを書いた団扇を配ってくれた大学生たち。多くの人々の平和への、そして基地のない沖縄への思いを見た。私自身、行進団の真上を爆音を轟かせ米軍機が飛び去っていく度「基地がある」とはどういうことか、日常生活が脅かされると言うのは比喩でも誇張でもない、事実なのだと感じた。
 「沖縄の平和がなければ、日本の平和はない。基地のない平和な沖縄を、平和行進の必要のない沖縄を」平和祭りのこの言葉が行進のすべてを語っている。
 最後に、参加者を快く送り出して下さった職場組合員の皆さんに感謝します。


総務支部・高橋淳一郎
基地と経済の行方に迷う県民の試練行進参加で実感

 行進した3日間、曇り時々雨の不安定な天候続きで体調管理が難しく、参加者のみならず、円滑な行進を支えてくれた交通整理員や休憩・昼食地点でお世話をいただいた方々の疲れ、苦労もひとしおだった。基幹道路沿いに、北部から南部へ「反基地・平和」の一貫した願いを込めて行進し訪れた町や過ぎ去る景色、出会った人々から得た感想を2点あげたい。
 一つは、沖縄が戦場であった事実は都市整備などでは打ち消すことができないこと。訪れた町によって程度の違いはあるが町の区画や家屋の造り、そして内地では受けることのない異文化の影響を受けた町全体の雰囲気が、戦争の悲惨さや武力の脅威、痛ましい過去の歴史を発信しているようで、これらの爪跡は金銭では解決できないことを、同じ国民として絶えず問題意識を持ち続けることへの無言のメッセージとして心に響いた。
 二つ目は、沖縄経済の停滞とその改善に向けての方向性が不透明で、基地と経済の狭間で県民が迷っている印象が強いことだ。3年前の知事選挙で県民が選択したのは、基地の県内北部移設を担保とした振興策の受け入れだった。
 基地が撤去・縮小される地域と新設・拡大される地域、振興策の恩恵を受ける地域とそうでない地域との間で「基地」に対する想いや感情に温度差はあるものの、行進中に沿道から行進団に手を振り声援をくれた大勢の人々に接し、私たちには計り知れない県民の皆さんの平和への願望と、基地問題解決への強い意欲を感じ、これまでの知事選や市町村長選による県民が選択した、結果としての基地容認の政策が「沖縄の決断」と言い切るのは語弊があることも認識できた。
 行進を終え、私ができる今後の平和への取り組みは、時代が変化しても過去の歴史を正確に認識し、経済政策最優先の打算的な解決策に頼らず、沖縄の問題は県民だけでなく私たちの問題として、戦争や基地の存在を断じて許さず、反戦・平和への行動を仲間と連携して続けることだと実感している。
沖縄の平和が日本の平和だ


魚の台所
麦蕎ダコに祭りハモ


 いよいよ梅雨が明け夏到来。雨水を飲んだマダコとハモが最高においしい季節がやってきました。
 愛情深い母親に見守られ、タコが生まれたのは昨年の秋。冬を乗り切ったものは水温の上昇とともにしっかり餌をとり、成長して夏場には甘みが増します。泉州、淡路、播磨灘、岡山下津井のタコは香りもよく、大阪で好まれています。
 ところでタコは昔から人々の生活に関わりの深い食べ物なのです。農家では半夏至(はげっしょ)※になるとタコを食べて豊作を祈念しました。タコの足のように八方にしっかり根が張るようにという思いが込められています。日本三大祭りといわれる天神祭りのごちそうは、はもちり(ハモの湯引)やタコとキュウリの酢の物です。また大阪の夏祭の最後を飾る住吉大社の祭りは“タコ祭り”とも呼ばれています。
 一方のハモは、中部地方から東では馴染みの薄い魚ですが、京阪神では夏の最高のごちそうです。俗に“長いものは夏に旨い”といいます。ハモのほかにアナゴも脂がのっておいしい季節を迎えます。ハモの産地は淡路の沼島や紀州雑賀崎、九州では大分や長崎が有名ですが、供給の多くは韓国、中国からの輸入に頼っています。祇園祭りから天神祭りの時期に需要が集中しますから、関西空港には連日酸素を入れて活かしたものが到着します。
 ところでハモは小骨が多いので、骨切りをして料理します。“一寸に二十四〜二十五包丁を入れる”といって、相当の熟練が要求されます。これは家庭では手に負えませんから、プロの魚屋さんに頼んで下さい。
 料理してもらったハモは、はもちり、つけ焼き、箱ずし、吸物、はも鍋などにして食べます。はもちりは梅肉か酢味噌でどうぞ。
 また、大阪の庶民の味として、ハモ皮とキュウリを酢の物にした“ざくざく”があります。大阪名物に“板付き焼蒲鉾”がありますが、その上等なものにはハモのすり身を使います。ハモ皮は、残った皮を生醤油をつけて焼いたものです。小売店では細く刻んで売っています。皮の香ばしさ、キュウリのサクサク感がたまりません。おかずにも良いですし、ビールのおつまみにも最適です。
※半夏生/半夏はカラスビシャクというサトイモ科の植物の別名。半夏生は半夏が生える頃という意味で、夏至から11日目にあたる。今年は7月2日。

〈はも鍋とタコのぶつ切り〉
―なにわの夏の風物、ハモの旨みとタマネギの甘みが絶妙です
@魚屋で骨切りをした活ハモを買い、あらを貰う、
Aハモのあらと昆布でだしを取り、薄口醤油、みりん、酒で味を調える。※あくを取るのを忘れないように、B新物のタマネギをざっくり切って鍋に入れよく煮る、C煮立ったところでハモを入れて食べる。※ハモは煮過ぎるとカスカスになるので火が通ったらあげる、D豆腐やシイタケ、キノコ、ミツバなども煮て食べる
―活ダコの香りをレモンと天然塩で満喫して下さい
@活ダコを軽く茹でたもので、足の中心が透明感の残るくらいのものを購入する、A好みの大きさに切り、レモンと天然塩でいただく


夏を彩る天神祭りに奉納
ドラゴンボートに今、夢中

社保労組 長岡さん

 体温よりも気温の方が高い毎日だが、そんな暑さを組合以外の運動で乗り切ろうとするでっかいヤツがいた。7月22日、大阪市内の大川で開かれた大阪の夏を彩る天神祭り奉納の龍舟大会(2001日本国際龍舟選手権大会)に同行し、社保労組今里支部の長岡さんの軌跡を取材した(文責・教宣部)。

野郎ども、用意はいいか

 「野郎(乗組員)ども、用意はいいか」を英語で言うと「オールクルーズ、アーユーレディー?」。パドル(舟を漕ぐ櫓)を前方に高く掲げ、出発の合図を待つ。「アテンション、ゴー」の合図とともに一斉に和太鼓が打ち鳴らされ、クルー(漕ぎ手)が一糸乱れずパドルを水面に突き入れる。
 ゆっくり、しかし確実に全員が「1・2・3・・」と掛け声を重ねていく。10を過ぎると掛け声はエールに変わり、徐々にテンポも早くなる。すでに氷上を滑るように舟はゴールをめざしている。老若男女、でかい人も小さい人も、力のある・ないに関わらず協力しあうことでしか舟は進まない。息が合ってくると機関車の歯車のようにパドルが揃ってくる。
 国際レース500bの距離は思った以上に長く、正直つらい。途中からは腕が上がらなくなり、息が止まるほどの極度の酸欠状態も経験する。その時の支えは日頃の鍛錬はもとより仲間同士のエールだ。しんどい時の声の励ましがゴールをめざす意気と化す。上位入賞が目標ではあるが、ゴールのブイを通過した途端に頑張った人もビールが目的で乗船している人もお互いの健闘を讃え合い、しばらくはレースの余韻に打ち拉がれる。頭の中を真っ白にして水面に浮かぶのも趣があるが、次のレースが控えているため、Uターンとして乗船場まで引き返す。その時に岸辺から大きな声援が送られ、競い合った舟とも友情のエールを交換する。陸に上がればレースの反省会、というより次のレースに備えて体力を温存するための休憩と言った方が正解か。

自治労府職の仲間も来年はぜひ一緒に

 「終わった後の爽快感とトレーニングセンターの仲間との一体感がうれしくて今年もまた参加してしまいました」と長岡さん。「来年はぜひ一緒に」と自治労府職の若い仲間に呼び掛けている。


◆2300年の歴史を持つ龍舟
 古代中国の春秋戦国時代、楚の詩人で政治家であった屈原が国を憂えて長江に入水自殺をはかった時に漁民たちは先を争って舟を出し、屈原を探したという。この時の手こぎ舟による競漕が屈原の命日・5月5日に2300年間も行事として続けられてきた。日本には1655年、中国の船が長崎に入ったものの嵐で動けなくなり、乗組員は小舟で競漕を始めた。海神の怒りを静める競漕が長崎でおおいにうけて、長崎ペーロン誕生の元となる。
 龍舟がイベントから競技に変わったのは1976年の香港国際龍舟祭から。日本でも1988年、大阪で日本国際選手権が誕生し、現在では東京、河口湖、京都・久美浜、和歌山などで龍舟大会が開かれている。天神祭りに奉納する今回のレースではカンボジアの対人地雷被災者救援に100万円単位のカンパが贈られるなど国際貢献も果たしている。漕手20人、太鼓手と舵取り各1人が乗り込む22人乗りの舟で500bの距離を競う。全長17bの舟は船体の底にくぼみが入る特徴を持っているため安定性が高く、転覆することはほとんどない。しかし安全性を考慮して100b以上泳げるスタイル(半パン・袖なしシャツの着用が義務付けられ、泳げない人は救命具を装着)で競技に参加する。漕ぐ時に海水などがかかるが、そんなものは夏場の太陽が即時に解決してくれる。

舟漕ぎトレーニングでダイエット効果も

 このクソ暑い夏日に天神祭りの前座とは言え「よーやるわ」と思う人もいるだろう。しかし、厳冬の時期にはできない競技であるため、開き直って暑さの中で爽やかなクルーを楽しむのも一考だ。だれでも競技参加は可能であるが、見た目以上にハードな競技でもあり、日頃の鍛錬がモノを言う。競技に参加しない人でもダイエットをかねて気軽にできる練習方法を紹介しよう。@2人が向かい合ってタオルの両端を持って交互に背中を地面につける直前まで倒しながら引っ張り合う。その際、ヘソに力を入れて腹筋を意識しながら2分間。Aタル木でパドルの柄を作り、その先に自転車のチューブをくくり付け、相方にチューブの端を持ってもらったまま船を漕ぐ要領でパドルを2分間引っ張る。B最後は一列ら並んで前後のチューブをつなげてタルミがでないように前後に引っ張り合いお互いの息を合わせる練習。もちろんウォームアップ(20分)とクールダウン(15分)を忘れずに。週1回、1年間も続ければ約5キロの減量効果は見込めるハズだ。
レース後の爽快感と仲間との一体感がたまらない

組合員の皆さんも熱中していることがあれば紹介してください。
教宣部のでご一報を


両軍の攻守に一喜一憂
商工支部・労働支部 野球観戦ツアー

 初回、近鉄の4番打者、中村選手の豪快な右翼ホームランに歓喜の声かと思えば、ロッテの5番、メイ選手の逆転ホームランにも感動の声。7月30日夜の大阪ドームには、商工支部・労働支部が共催で開いたプロ野球観戦ツアーで組合員とその家族70人余りが3塁側内野席に陣取った。
 初回から動いたゲームは5回まで乱打戦の様相だったが、結果は6対5で近鉄バッファローズが勝利。首位を守り、主砲の中村選手は30本塁打の大台に乗せた好ゲーム。参加者は両軍の攻守に一喜一憂しながら、涼しい観戦を楽しんだ。
 昨年も近鉄・梨田監督の抗議のプレーがあったが、今年も4回、ロッテのチャンスの場面で3塁上で走塁妨害だとして山本監督が猛抗議。観戦ツアーには付き物の出来事となった。
 近鉄応援の観戦ツアーが表向きだが参加者の中にはひいきの球団が違う人もいて、外野のロッテ応援団の場所までわざわざ移動して、熱のこもった応援を送る参加者も。ロッテの応援団が主砲に「レッツゴー・ボーリック」と声援を送れば、参加者も声を合わせて応援する。
 当日は、サラリーマンデーとして外野席が無料の日だったが、より近くで選手が見れる内野席観戦は、組合員の親睦に最適のツアーとなっている。

ファミリーフェスタ2001

楽しい催し やってこい
11月10日(土)
サンピア大阪