機関紙「自治労府職」
2004年1月1日号
賀 正
自治労府職執行部一同
地上を離れ大空に飛び立つ飛行機
夢・情熱、翼が乗せるのは人びとの思い
私たちは明日への希望を翼へ託します
新年ごあいさつ
山積する課題解決に奮闘の年へ
組合員の知恵と力を結集
自治労府職組合員ならびにご家族の皆様、新年おめでとうございます。 お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。日頃から自治労府職運動にご理解とご協力をいただき、深く感謝申し上げます。
光陰矢のごとしと申しますが、私も委員長の任務に就いて早や4年目を迎えました。この間、組合員から、また、社会的にも信頼される自治労府職づくりに取り組んでまいりました。昨年は、各単組・支部の皆さんとも十分に協議し、法人格取得、外部監査の導入、税務申告の実行、チャレンジ基金を活用したセンチュリー交響楽団の自主公演事業など、懸案課題を解決してきました。
一方、日本経済は依然としてデフレ不況から脱することができず、公務員賃金は2年連続マイナス勧告、一時金を含めると5年連続年収減という状況が続いています。中でも、大阪府では平成6年度から9年連続で経常収支比率が100を超えるという厳しい財政状況のもと、「定期昇給24月延伸」などで大きな損失を受けてきました。さらに、私たちの生活に大きく影響する「医療・年金制度改革」、「税制改革」などの議論が大きなヤマ場を向えています。
このように労働組合を取り巻く環境は厳しく、私たちの要求が簡単に獲得できる状況ではありません。しかし、こんな時だからこそ安心して暮らせる雇用・賃金制度と、社会保障制度の確立をめざし、労働組合運動を強めなければならないと思います。引き続き、自治労府職への結集と組織拡大に向けた取り組みの強化をお願いいたします。
残念ながら、イラクへの自衛隊派兵により日本の平和への危機が高まっています。「平和な社会を守る・築く」ということは、人類共通の「理念」であり、第二次大戦後「青年よ再び銃をとるな」「教え子を戦場に送るな」という、先輩が残された言葉・教訓を風化させてはならないし、憲法改悪を許さず、世界・日本の反戦・平和を求める運動を強めなければならないと思っています。
昨年、自治労中央の役員選考で100万組合員の組織の要である書記長に、植本眞砂子さん(府費・総務支部)が、国費評議会事務局長として、平岡伸さん(社会保険労組)が中央執行委員に就任されました。2人を支えることは、出身単組として当然のことですが、4000人の組合から2人の中央本部役員が選出されているという重みを噛み締めながら活動を進めなければならないと思っています。
本年2月1日には、大阪府知事選挙が行われます。4年前、セクハラ事件で前知事が辞任し、連合大阪などが中心となり太田房江候補を擁立し全国初の女性知事を誕生させることができました。 太田知事は就任後、全国で最も厳しい財政状況のもと、労使という関係では対立する場面もありましたが、大阪再生のために懸命に努力してこられた姿勢と、この4年間「太田府政」がまいた種が次の4年間で大きく成長することに期待し、昨年10月20日開催の中央委員会で、太田知事の推薦を決定しました。非常に厳しい選挙戦が予想されますが、皆様のご理解と太田知事へのご支援をお願いいたします。
「地方独立行政法人化」「業務の民営化」「新行財政計画の策定」「公務員制度改革」など、重要な課題が山積し、依然として厳しい状況が続くと思われますが、組合員の智恵と力を結集して奮闘したいと思っています。
この1年、組合員ならびにご家族の皆さまのご健康とご多幸を祈念して新年のごあいさつとさせていただきます。
執行委員長 大橋敏博
自治労府職とのより良い労使関係をもとに
大阪の今と未来に全力
自治労大阪府職員関係労働組合の皆様、新年あけましておめでとうございます。
公務員労働者を取り巻く環境が年々厳しさを増す中にあって、皆様には、日頃から府政の第一線で、ご活躍をいただいていることに、本当に感謝しています。ありがどうございます。
早いもので、私も知事就任以来、4度目のお正月を迎えることができました。この間、皆様のお力添えをいただきながら、「大阪再生」を旗印に掲げ、産業再生をはじめ、都市の再生、安全なまちづくり、そして府政の改革に取り組んでまいりました。
特に、雇用に子育て、教育、産業の再生、安全なまちづくりなど、大阪の未来にとって欠かすことのできない分野については、再生予算という特別な予算枠を設けて、集中的な取り組みを進めてまいりました。そうして未来に向けて蒔いた種が、今、着実に芽を出し始めています。この芽が育ち、花開き、実をつけるまでには、まだもう少し時間が必要ですが、私自身の中では、何としてもこの手で「大阪の再生」という大輪の花を咲かせたいという思いを強くしています。
こうした思いから、昨年の暮れ、これまでの取り組みを継続・発展させ、大阪再生への歩みをさらに着実にするための基本政策を発表いたしました。強さ、やさしさ、魅力をキーワードに、「タフでたくましい大阪」「府民一人ひとり生きがいをもって暮らせる大阪」「世界の人が訪れたいと思う大阪」をめざして、大阪の今と未来のために精一杯がんばってまいる覚悟でいます。
自治労府職の皆様には、これまで様々な活動を通じて、大阪府政の発展のためにご尽力いただいてまいりましたが、元気で活力有る大阪をつくりあげるためには、府政の第一線でご活躍いただく皆様のお力添えがぜひとも必要です。今後とも、より良い労使関係の下、大阪府政の発展のために引き続きましてのご支援、ご協力をお願い申し上げます。また、早々に私に対する推薦を頂戴し、心強く思っています。本当にありがとうございました。皆様のご支援をエネルギーとして、精一杯戦い抜く覚悟でございますので、引き続きよろしくお願いします。
今年は、申年、災いが去る年といわれています。また、申年の「申」の字は伸びるという意味があり、申年は大きく伸びる年になるとも言われています。皆様とともに、悪いことが去る、大きく伸びる、飛躍の年にしてまいりたいと思っています。
最後になりましたが、自治労大阪府職員関係労働組合の今後ますますのご発展と、今年が皆様にとりまして、すばらしい1年となりますことを心からお祈りしまして、新年のごあいさつとさせていただきます。
大阪府知事 太田房江
2004年 謹賀新年
執行委員長 大橋 敏博
副執行委員長 立石 元
副執行委員長 山本 和要
副執行委員長 嵯峨山豊子
副執行委員長 後藤 健司
書 記 長 西浦 昌寛
書記次長 竹下 知法
書記次長 芳仲 浩明
会 計 松田 章義
会計監事 西岡 裕
会計監事 大石 利樹
会計監事 白井 久直
執行委員 末田 一秀
執行委員 浪江 達也
執行委員 中村 正則
執行委員 森口 修弘
執行委員 森下 博二
執行委員 池口 忠史
執行委員 寺岡 庄三
執行委員 北野 義和
書 記 小出 敏輝
書記(非常勤) 坂本 博子
書記(非常勤) 植本 峰子
特別執行委員 植本眞砂子
特別執行委員 平岡 伸
府労連、太田知事を激励
府労連は12月17日、大阪市内で太田房江知事を支援する大阪府関係職員の集いを開き、組合員など1000人が集まって太田知事を激励した。
主催者を代表してあいさつした門川委員長は「府の再生のためには今がまさに正念場。太田府政の継続と発展によるしか大阪の再生はない。今回の選挙は、太田府政の実績と府・職従業員の取り組みが問われている」としながら「大阪の再生を成し遂げ、元気を取り戻すため、府民の生活と福祉・教育の向上を図り、府民から信頼されることが大阪の再生を勝ち取ること。府労連の、そしてわれわれの誇りにかけて最後までの結集をお願いする」と力強く訴えた。
集いでは、連合大阪の伊東会長、民主党府議団の土師幹事長が、多くの来賓を代表してあいさつし、太田知事再選に向けてともに取り組みを強めていくことを誓い合った。
太田知事には、組合員とOB6人から次期政策の実現に向けたエールが送られた(別掲参照)。
自治労府職も推せん
ご支援を
昨年9月に本年2月執行予定の大阪府知事選挙への出馬を表明した太田知事。府労連・自治労府職は10月に太田知事推薦を決定し、太田府政の継続による府の財政再建と府政のさらなる推進をめざして、全力で取り組むことを確認している。組合員の皆さんのご支援・ご協力をお願いします。
皆さんのエールしっかり受けとめ
大阪の再生に全力
多くの激励を受けた太田知事は「この間、職員の皆さんには苦しい思いをしていただいており、何とか生活が改善できるよう常日頃思っています。苦渋の選択を迫られる現状の中、皆さんにご協力いただいていることで大阪再生に向けてまいた種が、着実に芽を出そうとしています。やっと、やらなければならないことが見えてきたこの時に、人にバトンを渡すことはできません。これだけの力強い仲間の皆さんとともに府政をさらに発展させ、何としても大阪再生の歩みを着実にしていきたい。改めてその思いを強く持ちました」と決意を述べた。さらに太田知事は、組合員から贈られたエール一つ一つに応えてその実現に取り組むと約束。最後に「私は一生涯をかけて、大阪の今と未来のために全力を尽し、大阪を変えていく覚悟です。どうか太田を力強く支えてください」と訴え、会場から惜しみない拍手が送られた。集いの終盤には、府労連を構成する各単組の若手組合員がエール隊を組み、「タフでたくましい大阪をつくろう」「生きがいを持って暮らせる大阪をつくろう」「訪れたいと思う大阪をつくろう」「がんばれ太田」とシュプレヒコールを先導し、参加者全員で太田再選に向けてがんばる決意を固め合った。
組合員からのエール
小学校低学年にぜひ35人学級の導入を
大阪教組 沖本さん
子ども達の家庭・保育環境が多様化し、身につけてきたコミュニケーションの方法はさまざま。お互いの思いを分かり合い、生活していくためのきめ細かな対応は、担任1人では難しい。低学年は横のつながりが弱く担任に「見て」「聴いて」となりがち。その時、十分に対応できなければ、子どもは素直に自分が出せなくなり、子ども同士の人間関係も育ちにくい。保護者もさまざまな子育ての不安を持つ。ともに課題を共有しながら、きめ細かな対応で子どもたちの成長を支援していきたい。実現に向けてよろしくお願いします。
歩車分離信号の実現でさらに安全な街へ
大阪教組 青柳さん
2年前から豊中市でPTAや市民の皆さんと「通学路の安全確保」に取り組んできた。これからのまちづくりは、人間優先・安全優先の街に。「歩者分離信号」は通学路での子どもたちの安全確保はもとより、障害者・高齢者にとっても有意義な、やさしいまちづくりの一環。信号制御の変更で可能な「費用も安価で安全が増す」施策。「命と安全を何よりも大切にする街・大阪」もビジョンに盛り込んでください。
入札制度の改革、地域と連携した雇用対策進めよう
自治労府職 久保さん
府の入札制度への「総合評価方式」導入は、公正な労働基準を踏まえた最低制限価格の設定と、福祉と環境の取り組みを評価する画期的なこと。福祉・環境への施策効果とより質の高いサービスを得られ、税金の有効活用につながる。雇用対策では、連合大阪・大阪労働局・関西経営者協会・大阪府・大阪市が「雇用対策会議」に各特性を持ち寄って取り組み、地域では関係労働機関が「地域労働ネットワーク」で、セーフティネットも含め取り組んでいる。雇用に結びつく職業訓練も含めて、雇用対策のさらなる強化をお願いします。
地方財政の確立、税財源委譲の実現は急務
自治労府職 川本さん
府の財政再建は、緊急の課題。税の職場に勤務しているが、失業増大・産業の後退で街が寂しくなっていることを実感する。景気回復、産業再生、雇用創出の取り組みを引き続き強めてほしい。その原動力となる府の財源は、税収確保の努力だけでは限界がある。国から地方への税源委譲が強く求められる現状。法人税・法人事業税の兼ね合い、特に法人事業税の拡大を強く求めたい。地方分権を推進し根づかせることのできる地方の財政基盤の確立と国と地方の税制度の改革、税源委譲にさらに取り組んでください。
両立支援の充実・男女共同参画社会をめざそう
大阪教組 塚田さん
配偶者と相談して、3カ月の育児休業を取得した。理解ある職場でも「ほんまに取るの」との声も。特別扱いはまだまだ多い。1人ひとりの意識改革が重要。保育所の送迎で子育てのおもしろさと大変さを実感。育休を取って子どもと過ごしたことが、自分の確かなアイデンティティーのひとつになった。男だって、もっと子育てに関わっていったらおもしろい。父親なら誰でも思うことが自然にできる社会に。両立支援策の充実・男女共同参画社会をめざそう。両立支援などの実現をお願いします。
OBとして、府政の再生に全力尽くす
自治労府職退職者会 満薗さん
太田府政の再選を期して集まった多くの現職の皆さんを前に、太田知事もさぞ心強く感激のことと思う。私たち退職者会としても、現職の皆さんとともに大阪の再生、府政の再生に向けて、家族・友人・地域を通じて全力で取り組みます。ともにがんばろう。
多彩な趣味を持つ組合員を訪ねて・・・・
仕事の後は夢を求めて
バイク(自転車)で全国を転戦
中宮病院支部 治島 宏明さん
昨年10月に中宮病院から名称変更された精神医療センターへ治島宏明さんを訪ねた。
治島さんは、高度ケア病棟で府民の健康を守る第一線の看護師として働く一方、全日本実業団自転車競技連盟に登録するバイク(自転車)のロードレーサーとして活躍している。
昨年11月、鈴鹿で開かれた「4時間耐久レース」では4位入賞を果たしたほか、9月には賞金ランキング2位のプロ競輪選手を引き離しての上位入賞を果たすなど各地を転戦し活躍している。
治島さんがロードレースを始めたのは「今から5年前、35歳のときに同僚に誘われて、サイクリングに行ったのがきっかけ。河川敷を走っていると後ろからビュンビュン追い越されてしまい、同じように早く走りたいと思い、実業団チームに入った」とのこと。また「レースをやる人間はみんな負けず嫌い。そんな自分の性格もレースの原動力」とも語る。
バイクの魅力を語りだすと言葉が止まらなくなり「エコロジカルで健康的、さわやかな風や緑の香りといった自然を直接肌で感じながら遠くまでいけること」「ロードバイクは直接自分の脚・体力で出せるスピードがたまらない」「ひとつの山を登ったときの達成感も大きいが、しんどい思いをした後に飲むビールは最高に美味。だから止められない」と笑う。
また、印象に残っていることとして「最近では11月の『ツールドおきなわ』がある。142人が参加するなか、チームの協力で15位への入賞を果たすことができた」と孤独な闘いに思われるロードレースでもチームワークの重要性を話す。
しかし、スピードの出るロードレースならではの危険もあり「サーキットでは雨が降ると地面に染み込んだオイルが浮き出すため路面が滑りやすくなる。また、公道では下り坂のあと急に道幅が細くなったところで1人が転倒してしまい、その後に続く人も巻き込まれ、人が空に投げ出されるようなクラッシュに遭遇しかけたこともあった」「大きな事故に遭遇したことはないが、乗り始めたころは幅寄せされて転倒し、指を骨折したこともあった」と語った。
日常のトレーニングは筋肉をつけるようなものではなく、夕方まで仕事の日は70q、休みの日は100qをバイクで走り、次のレースに備えているとのこと。
2004年は3月中旬に修善寺で行われる大会を皮切りに、夏には鈴鹿。冬には沖縄と、治島さんの1年が始まる。
治島さんは最後に「全国を転戦するには、職場の理解は欠かせない。いつも休みの日の調整などで協力してもらっている上司や同僚の皆さんには心から感謝しています」と語ってくれた。治島さんの今後の活躍に期待したい。
職場の理解は欠かせない
上司や同僚の協力に感謝
ワインセラーを自宅地下に
健康福祉支部 松本 猛さん
泉佐野保健所で食品衛生や病害虫の駆除、狂犬病の予防などの業務を担当している衛生課に松本猛さんを訪ねた。
ダンディな雰囲気を周囲に漂わせる松本さんは、その雰囲気にふさわしい趣味で、取材した我々を驚かせてくれた。
松本さんは、自宅マンションの地下室をワインセラーにしてしまうほどのワイン愛好家で、所蔵するワインは実に700本を超える。
松本さんの所属する健康福祉支部では、アドバイスを受けてワインパーティを開き、多数の支部組合員がワインに酔いしれるなど、支部活動にも積極的に参加している。 ワインに興味を持ったきっかけを聞くと「もともと、お酒の世界に興味があり、学生時代のアルバイト先でマスターにカクテルの作り方を教えてもらっていた。そのマスターが1日1本、必ずワインを飲んでおり、相手をしてると、ワインの世界がバラエティに富んでいて、ブドウの種類や産地で色・味・香りがすべて違う。これは面白いと思った」「しかし、学生アルバイトで給料も安く、なかなか定着しなかった。本格的に勉強を始めたのは、知り合いになった喫茶店のマスターから『一度きっちり勉強してみろ』といわれ、体系だてて勉強するようになった」と話してくれた。
自分にあったワインの見つけ方について尋ねると「同じ人でもワインの好みは代わっていく。農耕民族である我々の作った日本酒はいくら辛いといってもワインより甘く出来ている。狩猟民族であるヨーロッパで作られたワインは野生動物を食べるのにぴったりな辛さとなっており、日本人の多くはドイツの甘口ワインからスタートする」と分析し「私の開くワイン会も最初は白の甘口からスタートしたが、続けるうちに極甘から甘め、やや甘めとだんだん辛く変化し始めた。白で辛いほうに変わっていくと行き着くところは赤になる。年齢によって食事の好みに変化が出るとワインの好みも変わってくるため、1つの味だけで飲みつづける人は珍しい。始めは様々な産地やブドウの種類、年代を変えてみて、自分に一番合うワインを選んでみると良い」と話してくれた。
ワインも飲むのに適した時期や好みがあり、作られてから早い時期の荒々しい味が美味しいものもあれば、10年ほどした円熟の味が美味しいものもある。好みや時期を誤ると高いワインでも満足できない場合もある。
ワインを集めた理由を尋ねると「集めているのは1985年から1989年までの5年間のボルドー産ワイン。これは、1985年に結婚したので、新たな出発の節目で『初心を忘れないように』との誓いと『歳をとってから、もう一度この5年間を振り返ってワインを飲んでいこう』と思っている」と愛妻家の表情もみせてくれた。
自宅のワインセラーの所蔵数を聞くと「メインに集めているもので450本ある。90年代以降で150本、普段飲む分として100本ぐらいある。これまでに給料3年分はワインに費やしており、品揃えには自信を持っている。80年代後半のボルドー産ワインでは我が家がナンバーワンだと思う」と驚くばかりの話も聞かせてくれた。
今の一番の楽しみを聞くと「自分の飲みたいワインに合わせた料理を妻が作ってくれたとき。あるいは妻の作ってくれた料理にあわせて出したワインがマッチしたときが一番うれしい。これを知ると外でワインは飲めなくなる」と話す。
80年代後半で集めきれていないワインは、あと3種類とのことで、それを入手することは「夢でしょうね」と語る。
未入手のワインは3本
入手するのは夢と語る
手打ちは家(うち)で楽しもう
HOW TO 手打ちそば
盛りつけてできあがり
私と「手打ちそば」との出会いは大学4年生の時。一人旅で立ち寄った岐阜県高山市の老舗(しにせ)のそば屋でした。そこで見た手打ちの技に魅せられ、無理やり頼み込んでそのまま3カ月住み込みで修行。
卒業後は定職に就かず、地元・名古屋で、昼はイラストを描いて夜はそば屋でそばを打つという生活を12年。そして、結婚・子どもの誕生を機に現在の仕事に就きました。しかし、経験というのは無駄にならないもので、現在も仕事関係で労組の料理教室の講師をやったり、ボランティアで小・中学校の総合学習の時間に「そば打ち」を教えたりと、そばとの関係は続いています。おっと、私の身の上話はこれくらいにして、本題に入りましょう。
今、各地で「そば打ち道場」なるものが開かれていますよね。そこで目にする道具というのは、そばをこねる大きな木製(漆塗り)の鉢や、のし台、めん切り包丁、切る時に使うこま板など特別なものばかり。このことが、手打ちそばを「難しそう」と思う理由になっています。そこで、私のそば打ちのコンセプトは、「家庭でできる手打ちそば」。専用の道具があるにこしたことはないのですが、金属製のボウルや文化包丁などを使っても十分においしいそばができます。さあ、皆さんも「家庭でできる手打ちそば」にチャレンジしてみましょう。
●材料(4人前)
・そば粉…400c
・小麦粉…100c
・卵………2個
・水………250c
・打ち粉…150c
●下準備(4人前)
せっかく「そば」を手打ちするなら、めんつゆも手作りしましょう。
〈そばつゆの作り方〉
・昆布とむろ削り(水1合に10c)でダシをとっておく。…A
・しょうゆ、みりん、砂糖を混ぜてひと煮立ちさせておく。…B
(しょうゆ180ccに対して、みりん55cc、砂糖30cの割合)
・薬味用にネギを切っておく。
●作り方
@まぜ合わせる
そば粉と小麦粉(強力粉)をボウルに入れ、指先で均一に混ぜ合せる。(そば粉8割)
A水まわし
粉をボウルの底が見えないようにならして、卵2個を水でといたものをまわし用に少しずつ入れながら指先だけでかたまりを作らないように混ぜ合わせる。この水まわしは手打ちそばの出来を良くも悪くもする重要なポイントである。
Bまとめ
水まわしされ、粒になったものを棒状にまとめていく。両手の指を使い手前へまわしながら練っていく。
Cもみこみ
ボウルから取り出して、台(テーブル)へ打ち粉をふってその上に置く。そして、棒状になったものを端を折り曲げてみてピリピリしたキズができないようになったら、丸くして手のひらを使い、まわしながら押さえ込むようにして練っていく。しっかりともみこみ、生地の肌がツルツルになってくるまでもむ。
Dへそ出し
練られた生地の中の空気を出すように、もまれたキズがなくなるように円すい型に仕上げる。
E押し延ばし
円すいの先を下にして上から両手を重ねてまわしながら、手のひらで押し広げていく。
F延ばし
めん棒を使って中心から外側へ延ばしていく。端からめん棒をはずさないように生地を手でまわして均一に延ばしていく。
G角だし
めん棒をきちんと巻いて前方へ押しながらまわしていく。(出したいところを前方へ巻きつける)手前へ戻すときは軽く引きずってくる。
Hたたみ
四角に延ばした生地に打ち粉をふって、前方より破れないように半分に折る。裏側の出たところへ打ち粉をふる。これを繰り返す。(包丁の長さより短くたたむと切りやすい)
I包丁
たたまれた生地を包丁を使ってなるべく細目に切る。(目安は約二ミリ)
Jゆでる
大量の沸騰した湯の中へ固まらないように広げて入れる。ゆで時間はめんの厚さ、切り幅によって差があるが、2分前後を目安とする。
K洗い
ゆであがっためんを冷水を流すところのザルに取りあげ、軽くもみ洗いをしながら冷やす。
L盛りつけ
水をきってざるに盛って出来上がり。最後にめんつゆを作って(下準備のAとBを好みに応じて混ぜる)薬味を入れて食べる。
また、そばをゆでた残り湯(そば湯)には、コレステロールを溶かしてくれるルチンが多く含まれています。健康のためにも、そばを食べた後にはぜひそば湯を飲んでみてください。私は、焼酎をそば湯で割って飲んでいます。おいしいですよ。
自治労愛知県本部 入江 義寛
健康一番 9
協力 羽曳野病院支部
呼吸器外科の治療
肺癌の進行度を正確に見極める
縦隔鏡検査、国内トップの施行数
当院の呼吸器外科は本院が結核療養所として昭和28年に発足して以来、呼吸器に特化した外科としての足跡を築いてきました。
当科で最も多い疾患である肺癌は内科・放射線科と共に治療法を決定しています。肺の付け根のリンパ節(縦隔リンパ節)を調べ、正確に進行度を決定するのに有用な縦隔鏡検査は国内トップの施行数であります。気管や気管支をつなぎ合わせて肺を温存する気管支形成術や、正常肺をできるだけ温存する縮小手術も多く施行しています。
テレビモニター下に手術を行う胸腔鏡手術では傷が小さい、痛みが思ったより楽などの利点があり、実施数も非常に増加しています。進行肺癌や縦隔腫瘍には放射線・内科治療・手術を組み合わせた集学的治療を行っています。
多くの施設では対応できない結核を中心とする感染性肺疾患や膿胸に対する手術も積極的に行っています。主要な対応疾患は肺癌、転移性肺主要、気胸及び嚢胞性肺疾患、肺結核、肺真菌症、膿胸、胸膜疾患、縦隔疾患、気道狭窄などです。手術総数は年間約300例で、その内訳は肺癌100〜110例、転移性肺腫瘍10〜20例、気胸及び嚢胞性肺疾患約50例、結核や真菌症などの炎症性肺疾患約15〜20例、膿胸約15例、縦隔腫瘍5〜10例、縦隔鏡検査約50〜70例などで、どの疾患の手術例も増加しています。
臨床研究面では厚生労働省固形癌研究班肺外科グループ、厚生労働省21世紀型医療開拓推進研究事業班員、EVMに基づくガイドライン研究班班員、西日本肺癌治療研究グループ、大阪肺癌研究グループ、大阪大学呼吸器外科研究グループ、その他の日本の中心的研究活動に積極的に参加しています。
このように当院呼吸器外科は全国有数の指導的施設・外科として機能しています。今後も呼吸器疾患の全てに対応できる専門外科として鋭意、努力をする必要があると考えます。
大阪府立呼吸器・アレルギー医療センター
呼吸器外科部長 中川勝裕
2004年探訪
歴史
新選組のふるさとを訪ねて
壬生の町を歩いてみたら
2004年のNHK大河ドラマは「新選組」。スマップ香取慎吾が新選組局長・近藤勇を演じ、一番隊組長・沖田総司には藤原竜也と若いキャストで人気を呼びそうだ。この新選組、では一体何をしていたのか?あらためて考えるとよく知らない。この機会に新選組のふるさととして知られる壬生の地を“ぶらっと”訪ねてみた。
八木家住宅
新選組に触れるなら生活の場(屯所)から
阪急京都線大宮駅を降りて徒歩10分、新選組が屯所として使っていた「八木家住宅」に着いた。ここにある「新選組発祥の地跡」の看板は「新選組」について、「1863年、将軍徳川家茂の上洛警護のために浪士組が入洛、浪士組は在京20日余りで再び江戸に戻ったが、芹沢鴨、近藤勇らは引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保の支配に属して『新選組』と名のり、浪士の取締りや治安維持に活躍した」と書かれている。この「八木家住宅」の前には「隊士腰掛けの石」などもあり、当時の新選組隊士の生活に想像をかき立てられる。
この日は年配のご夫婦から若い女性まで、多くの人が見学に訪れていた。ボランティアの方が、当時の時代背景と新選組の結成に至る経過、池田屋事件、倒幕派との争いなどについて丁寧に説明してくれる。「芹沢鴨がこの部屋で暗殺されました」と聞くと、ちょっと背中に冷たいものが…。屋敷内には刀傷も残っており、その時の凄惨(せいさん)さを物語っている。
「新選組に対する評価は分かれます。幕府側に立てば英雄、長州など倒幕派からすれば殺人集団、そして、双方の争いに巻き込まれた京都の人にとっても必ずしもいい評価ばかりではないでしょう。ただ、時代に向き合い、ひたむきに生きた若者に共感する人が多いのではないでしょうか」との言葉が印象に残る。
見学後には、八木家入り口の和菓子店“京都鶴屋鶴寿庵”で抹茶と屯所餅がいただける。
新選組が相撲興行―壬生寺
壬生寺境内にある新選組隊士の墓所である壬生塚には、近藤勇の胸像と遺髪塔があり、屯所で暗殺された芹沢鴨らの墓がある。
この壬生寺境内で、新選組が武芸や大砲の訓練を行ったとの記録もある。また、沖田総司が境内で子どもたちを集めて遊んだり、新選組が相撲興行を企画し、寺の放生池の魚やすっぽんを獲って料理し力士に振る舞った、などの逸話も残されている。
ここには往年の名歌手・故三橋美智也の「ああ新選組」の歌碑が建てられており、100円を入れると歌が流れるようになっている。少し寂しげな音色が流れると、老夫婦は懐かしげに、そして、若い女性たちは「キャハハ」と笑っている対比がおもしろかった。
隊士、宴の場―庭も必見の「角屋」
角屋は、島原開設時から建物・家督を維持し、江戸期のもてなし文化の場である揚屋建築唯一の遺構として、国の重要文化財に指定されている。
「揚屋」は、現在の料理屋・料亭にあたる。大座敷に面した広庭に必ずお茶席があり、庫裏と同規模の台所を備えていることが特徴。角屋では新選組の宴会がよく行われた。騒動はなかったものの、柱には隊士が酔ってつけた刀傷が残っている。文久3年9月18日、角屋での宴会で泥酔し、八木邸に帰った芹沢鴨は寝込みを近藤一派によって襲われ暗殺された。「最後の晩餐」がこの角屋。
“この座敷から庭を見ながら抹茶を飲んだらおいしいやろうなぁ”と、夕暮れで薄暗くなった庭を見ながら思う。
まさか、これが…―池田屋騒動の碑
最後の目的地は「池田屋騒動の碑」。新選組の名を世に知らしめた「池田屋事件」。この碑を見ずに帰れまいと思い、日が暮れかかる中、京阪三条までタクシーを飛ばす。「碑はどこだ」と探すが見当たらない。ガイドブックを何度も見返しつつ周辺を2周。「これか?」と見つけたのは、パチンコ店の前にひっそり建つ小さな石碑。「まさかこれが…」。「絶対にこれは京都三大ガッカリに登録されるはずだ」と思いながら、やり場のない気持ちに浸って家路についた。
味覚の王者
かにすきセット
冬は何といってもかにすきが一番!
福利厚生部はおいしいと大好評のかにすきセットをあっせん中。本場の味をご家庭でどうぞめしあがれ。
■申込方法 専用の申込書に必要事項を記入のうえ、福利厚生部まで届けて下さい(FAX可。06―6945―1315)。
■代金振込 商品代金は申し込みと同時に次の口座に振り込んで下さい。
【近畿労働金庫本店(普)5863934】または【りそな銀行大手支店(普)5873083】まで。口座名義はどちらも自治労大阪府職員労働組合。
■申込締切 2004年2月27日(金)。
その間、申し込みは随時受付中。
■配送可能日 2004年3月5日(金)まで(ただし、1月1日、2日を除く)。
■配達希望日 申込日から必ず5日以後を記入して下さい。また、申込書には必ず「配達希望日」欄への記入を忘れずに。
2004年
環境
8月8日
道頓堀川で泳ごう
ふるさ都・夢づくり協議会 須知裕曠会長に聞く
イベントではピエロに徹し水質浄化への関心高めたい
汚い、臭いと悪評名高い大阪・ミナミの道頓堀川。全国的にも、川に架かる「戎橋」からダイビングする人々の出現などで有名な川。この川で2004年8月8日、大阪の街をこよなく愛する男がイベントを仕掛ける。歴史に培われた水都・大阪の復活と、川の浄化をかけて。それが第1回道頓堀川大水泳大会だ。単なるバラエティーイベントではない。男の意図は、水質浄化への市民の関心を高めること。市民が動き、行政を動かすことでその実現をめざす。「ミスター行動力」とも評されるその男の神髄に迫った。
特定非営利活動法人「大阪・水かいどう808」理事長、「ふるさ都・夢づくり協議会」会長などを務める須知裕曠さんがその仕掛け人。アイデアを駆使した市民中心の活動から行政を巻き込む取り組みを進めるなど、まちおこし・環境保全・文化振興など多彩な活動を繰り広げている。
「ほんまに泳ぐの」。誰しもが抱く疑問に、「そんなもん、現状のままでは、ほんまは泳ぎたないよ。でも、イベントではピエロになることを覚悟してる。開催日までの電光掲示板設置はその決意表明の一端。おもろいことやって成功させたい。道頓堀川をいかにきれいにしていくか、広く関心を持ってもらいたいからね」。自信に満ちた言葉が力強い。2004年8月8日は法人名「大阪・水かいどう808」にちなんだもの。イベントは休日開催が基本、の観点から暦上その日が休日で、須知さんが生きている間に開くことができるのは今年のみ、という事情もあった。
合流式の下水構造
改修には巨額の費用
道頓堀川流域の下水構造は、雨天時に住民の生活排水が川に流入してしまう合流式。「におう、臭い」と表現されることを須知さんは「晴天が続く時にはにおわない。それをおもしろおかしく吹聴する芸能人などがいるのに腹が立つ。下水の構造が古く、その改善が水質浄化につながるのは結論が出ている。ただし、すべての改修には3000億円かかるとされ、行政のみでは何年後に達成できるかわからない。私たちの活動が市民の関心を高めることで水質浄化の取り組みを進めたい」と語る。
その取り組みは、水泳大会だけにとどまらない。琵琶湖原産で水質浄化の能力を持ち、淡水真珠を生産できる「イケチョウ貝」に着目。「道頓堀川真珠養殖」を発案し、その熱意で河川管理自治体である大阪市の大英断を得て実行に移した。河川の一部を利用した養殖は、出資を伴う市民オーナー制。「私の貝を育てる川」との認識を高めるのがねらいだ。さらに、日本初の公道を走れる水陸両用車・バスを導入し、川をアピールしている。
大阪人のDNAに
訴えたい
道頓堀川は1612年、「安井道頓」が私費で開削に着工した運河。米・木材などの物資輸送に利用された。
昔から大阪は浪華の八百八橋とも言われ、川と橋の街として有名だった。「道頓」のように私費を投じて作られた橋も多い。街は住民自らの手によって発展したとも言える。さらに、大阪市の市章は「みおつくし」。天保山に立っていた水路標識のみおつくしが、太閤秀吉にちなむ千成瓢箪(せんなりびょうたん)と競われた末、市章になったことも、街の発展が水路で支えられたことを裏付ける。歴史にも触れながら水都・大阪の復活に向け熱く語る須知さん。
「住民自らが街を発展させてきた大阪人のDNAに訴えたい。市民の関心を高めるために日本初とか日本一とか世界初とかにこだわっている。水泳大会は継続開催して、将来的には道頓堀川大水泳大会出身の選手が、オリンピックに出るなどの構想に向けてもすでに動いてる」「なんせ苦労性かな。思いついたことを実現させるプロセスが好きでやっています」と話す。その活動は単独ではなく市民・行政を巻き込むものとなる。
行政とは
対等の立場で
行政とのかかわり方にはこだわりがある。自身の発案による活動は自身の責任で行う。行政に費用負担は求めない。対等な立場で、行政としての法的な対応や活動の必要性に理解を求めるため、熱心に訴えている。
水泳大会では「ぜひ、大阪府の太田知事に試泳式に出てもらいたい。年明け早々、知事に直接お願いしたい」と熱意を語った。
どっこい生きている
アジアの大道商人
本
大道商人のアジア
和賀正樹 著
小学館、本体1,600円+税
登場するのはアジア諸国(11国)の154人の大道商人。どのページからもアジアの風が吹き、アジアの生活臭がにおいたつ。アジアにありながら、アジア的でなくなった日本人から見れば、郷愁ともいえる人物たちだ。日本人が憧憬(どうけい)をもって受け入れていた「寅さん」には背負うべき生活はなかったが、登場するインドネシアの8歳の少年(ビニール袋売り)をはじめとして80歳代まで、さまざまな商人たちが、生活を背負って、楽天的とも言える言動で売る商品に情熱的な愛着を示す。決して深刻にならずマイ・ウェイで商いをする姿は哲学的ですらある。
めずらしい商いも結構ある。ビルマやカンボジアの「放鳥師」(かごに雀を50羽入れて売る。鳥を空に自由に放してやる。命日や結婚記念日、誕生日などの記念日に、鳥を放つと後生が幸せになれる。1羽5チャット=7円)、中国の「水占い」(水をはった鉄の鉢に手をかざすと体から発する気によって水が上がる。良い気を発している人は勢いよく水があがる。1回5角=7円)。
男ならたちどまって聞き耳を立てる強壮薬売りも健在だ。インドネシアの「ジャムウ売り」(ジャムウは民間伝承薬。精力剤ひと袋2000ルピア=30円)、マレーシアの「ヒルの塗り薬売り」(ひと瓶20リンギ=580円)。
ユニークな商売も。タイの「体重計り」(1回1バーツ=4円)、体重計りは他の国でも見たことがある。マレーシアの「日除け屋」(日中の炎天下に停めてあるオートバイのビニールの座席の上にダンボールの切れ端を置いてチップをもらう。0・2リンギ=560銭から10リンギ=28円)。
筆者の和賀正樹は、戦後日本がたどった高度成長の波の中で、大道商人・大道芸人が消えていったように、アジアも近代化が進む中で、いまはたくましく生きている大道商人たちも消えていくという焦燥感にかられ、アジアの大道商人に会い、このドキュメントを出版した。著者のユニークな見解である各国の紹介も、アジアを愛する視点で貫かれている。日本(人)とその国のかかわりも行商人・金子光晴がいた町としてマレーシアを紹介するなど、日本人とのかかわりを知ることができる。インドは紹介されていないが、すでに「インドの大道芸人」(山田和著、平凡社、1990年)の力作がある。
「どんなに寂れた町でもさ、ここがあたしたちの中心さ」。インドネシアの「ちまき売り」ナマサザ・ボンサさん女性54歳の言葉だ。
大道商人たちのパワーがみなぎり圧倒され、生きることが輝いている。50歳以上の人には限りない郷愁が、若い人には「どっこい生きている」誇りに、打ちのめされるだろう。