選 球 眼 |
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99.12.01
◆酒席での乾杯はスタートを告げる儀式として当たり前のように定着しているが、乾杯が行われたのは1854年が最初。日英和親条約協定後、通商の約款を補足させる会談終了後の晩餐でエルギン伯爵は「英国では元首の健康を祝して杯を交わす習慣があるので、そうしたい」と提案した ◆当時の日本にはこのような習わしは無く、しかし礼を失しないよう会話が切れて座が静まり返った時、立ち上がった幕府の条約委員・井上信濃守が高い声で「乾杯」をし、おごそかに着席した(つい誰かに話したくなる雑学の本・日本社より)。これには参加者も耐え切れず、爆笑が渦巻いたようだが、以降の酒席で乾杯が根付いたことは確かである ◆日本では太古から「魂の交流」を意味する酒を酌み交わす習慣があり、下戸にとって「居酒屋資本の戦略」とも言うべき忘年会や新年会の儀式はそう簡単には無くならないだろう。くれぐれもマイペースで、おいしいお酒に乾杯いや完敗。(N)
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99.12.11
◆180a95`ですら小さいほどの超ヘビークラスの同グランプリでリングで倒れることは「敗北」を意味する。しかし三度世界王者に君臨した20世紀最後の暴君・ピーター・アーツのハイキックをまともに受けダウンを喫したジェロム・レ・バンナが放った左フックは王者をマットに沈め、再び立ち上がらせることはなかった ◆レ・バンナ(仏)は筋肉隆々の120`。そこには過去の栄光は存在しない。今を生きる自分の強さだけが唯一信頼できるパートナーだ。準決勝の相手は精密機械・アーネスト・ホーネスト。1R、ホーネストの顔が腫れ上がるほどレ・バンナが圧倒。KOは時間の問題かと思われた矢先、ホーネストの左右の連打でフィニッシュ。でかいから、強いからだけでは勝利の方程式は完成しない。運も味方につけて、最後にモノをいうのは日々の鍛練だろう ◆勝っても負けてもK1戦士たちは翌日は起き上がることが出来ないほど体は痛めつけられている。そこまでしても戦いに挑むスピリットが見る者を魅了して離さない。(N)
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99.12.21
◆酒といえば「日本酒」をさすが(九州や沖縄では焼酎や泡盛)「人肌の燗」のとおり、暖めて飲む酒、新鮮な時ほどおいしい酒は世界でも珍しい部類に入る。その歴史は稲作文化が定着した頃に溯ると思われるが、当時の原料として用いられたのが野ブドウなどの果実や芋類であったことなどが容易に想像できる。稲の渡来を考えると日本酒は外国から渡ってきた酒なのだろうか ◆ひどく酔っ払うことを「泥酔」というが、泥とは想像上の虫の名で、水が無くなるとフニャフニャになって積み重なる様子と酔いつぶれた様が似ていることからつけられている。また、酔っ払いを「トラ」と呼ぶが、これは酒を「ササ」と呼ぶことから来た洒落で、笹には虎がつきものというわけだ ◆健康に差し障りのない酒量は日本酒なら一合ちょっと。これは肝臓のアルコール処理能力から出された数字で酒に強い、弱いはあまり関係がない。とは言いながら、次の日を気にせずパァーッと飲み続けてみたい年末年始でもある。皆さん酔いお年を。(N)
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