機関紙「自治労府職」

 2000年7月11日号

調整手当「堺に続き東大阪・柏原も現行支給率を維持」
    公務員連絡会・人事院給与局長と交渉 =粘り強い取組の結果=


公務員連絡会調整手当対策委員会は、7月6日午前10時から人事院給与局長と交渉を行い、調整手当見直しの最終回答を引き出した。
 この回答は、4月24日に見直しの具体案の提示を受けて以降、6月30日の交渉でも公務員連絡会が「合意できる見直し案」となるよう再検討を求めてきたことに対して、人事院がこれらの要求を踏まえて見直しの最終案として提示したもの。(最終案要旨は別表)

 同日行われた給与局長との交渉経過は次のとおり。
 はじめに公務員連絡会は、「6月30日の交渉で公務員連絡会としては、あくまで合意に基づく成案を得る立場から見直し案の再検討を強く求めてきたが、それに基づいた最終的な回答を伺いたい」として、人事院の回答を求めた。
 これに対して給与局長は、次のとおり調整手当見直しの最終案を提示した。
1 見直し対象地域
 6月30日に人事院の考え方をお示ししてから、皆さんやその他の関係者の意見・要望に人事院として真摯に対応し、さらに検討を進めた結果、なお各省庁の人事管理に与える影響等を考慮する必要があると認められる東大阪市、柏原市、姫路市、和歌山市、長崎市については、現行どおりの支給割合とする。
 なお、当分の間支給するとの取扱いについては、次回の見直しにおいて基本的に解消することとしたい。

2 新規支給地域等(略)

3 経過措置について
 経過措置については、皆さんやその他の関係者の意見・要望に最大限配慮し、7年間とした。

4 実施時期について
 以上の見直しは、平成13年4月1日から実施する。
 この人事院の最終回答に対して公務員連絡会は
@見直し対象地域については4月24日の提案を再検討し、政令指定都市(札幌、福岡)や県庁所在地、地域の中核都市などを現行のまま据え置くとしたことは、公務員の生活や地域経済に与える影響から見直し対象地域を最小限に止めるべき、との公務員連絡会の意見を反映したものとして受け止めたい。
A経過措置が7年に止まったことについては、見直し該当地域の生活確保の観点から「従前の例」どおりの措置を求めてきたことからすると不満であるが、当初案の5年を延長させたことは人事院の努力として受け止めておきたい。
Bそれでもなお、本日の最終案で見直し対象となった該当地域に不満が残ることは当然のことであり、この点については人事院としても真摯に受け止めてもらいたい。しかし、公務員連絡会全体としてみた場合、本日の最終案は公務員給与をめぐる厳しい状況の中で2年間にわたって進めてきた交渉・協議のギリギリの到達点として受け止めたい。
Cなお、調整手当制度の抜本的な見直しについては、今後の給与制度全般の見直し課題として位置づけ、今後もお互いに研究を続け、協議を継続していきたい。
Dいずれにしろ、この最終回答を持ち帰って公務員連絡会としての態度を協議したい。などの見解表明を行った。

府労連は7月7日、府人事委に申し入れ
 一律10%支給確保の取り組み強める

昨年から大阪をあげた取り組みの到達点は確定したが、府における調整手当問題はこれからが本番といって過言ではない。
 府労連は、府人事委員会に対する申し入れを7月7日に行い、府域一律支給の姿勢を堅持するよう強く求めた。今後、府域一律10%支給確保に向けた府人事委員会に対する取り組みや対府闘争を強め、引き続き、わたし達の生活給である調整手当の改悪阻止に向けた取り組みを進めていく。


新再任用制度で当局提案
       府労連の要求に応え特嘱制度は存続
新再任用制度とあわせ
        昇給停止年齢の引き下げを提案

府当局は7月7日、府労連に新再任用制度の導入について、その概要と運用方針を提案。日程も2001年4月に条例施行、2002年4月に運用開始とし、提案の中で府労連要求の「現行特嘱制度の維持」は「存続」と明記した。
 一方で、昇給停止年齢を55歳に引き下げることをあわせて提案した。
 府労連は、年金の満額支給開始年齢が段階的に引き上げられることから「雇用と年金の良好な接続・連携、豊富な経験を生かした公務職場における雇用促進」は重要な課題であり、現行の特嘱制度を維持した新制度の確立を強く求めて折衝・交渉を重ねてきた。

 新再任用制度について府労連は、提案内容を職場討議に付し、問題点などを集約しながら交渉に反映することとしている。
 また、昇給停止年齢の引き下げについては、交渉の場で強く提案の撤回を求めており、今後の取り組みを強めていくとしている。
今回の新再任用制度導入に向けた当局の提案に対しては、この間、府労連が現行の特嘱制度を維持した新制度とするよう強く主張してきた。その理由は、国で制度化された新再任用制度が「定数内」で「通常の職員と同様の職務に従事する」とされ、「定数外」「補助的業務」の特嘱制度を維持し、併用することが不可欠ということから。
 今回の提案で「特嘱制度を存続させる」としていることは一定、評価できる。
 今回の提案内容は自治省の条例準則に沿って条例化する「2、制度の概要」と実際の適用内容を示した「3、制度の運用方針」との間に乖離(かいり)があるなど、解決しなければならない課題も多く、その主なものは次のとおり。
 @当面、原則としてフルタイムに限る、A選考で能力実証を行うとし、希望者全員を採用するとしていない、B本人の意に反して任用されない場合の苦情処理システム、C再任用申し出の猶予期間の設定、D再任用から特嘱、特嘱から再任用、再任用任期内退職者の再任用、E異動希望の尊重、F休暇・社会保険・労働安全衛生・福利厚生・互助会加入・研修などの諸制度の確立、G非現業特嘱の65歳までの年齢引き上げと待遇改善、など。
 府労連は今後、職場討議で問題点を集約し交渉に反映していく。

 当局提案へ

府労連
 当局 55歳昇給停止を提案
撤回求め取組強化
当局は新再任用制度導入案とあわせて、昇給停止年齢の引き下げを提案。国では昨年4月1日から一定の経過措置の下で「55歳昇給停止」が実施されている。府の昇給停止年齢は現行58歳の年度末を超えたものであり、これを3歳引き下げるという今回の提案が実施されると、個人差はあるものの2〜3号の号給抑制となり、退職手当にも影響が出る。
 府労連は、昇給停止期間中に提案すること自体受け入れられず、撤回せよと強く当局に迫った。今後、すべての職場で提案撤回を求める職場決議を行うなど、引き下げ反対の取り組みを強めていく。

 当局提案

1、提案理由
 国においては、今後の高齢者雇用の進展を念頭に置きつつ、世代間の給与の適性配分に努めてきたところであるが、民間企業において、年功序列制度の見直しが進み、一定の年齢により定期昇給を行わないこととしている事業所が多数となってきていることを踏まえ、平成11年4月1日から、一定の経過措置を設けながら、昇給停止年齢を原則55歳に引き下げたところである。
 このような状況のもと、本府においても、制度の基本は国に準ずる必要があり、さらに、新再任用制度とともに一体的に高齢者の処遇を考える必要があることから、本府人事委員会の意見も踏まえ、国に準じ、昇給停止年齢を引き下げる措置を講じることとしたい。

2、提案内容
 現行の昇給停止年齢を3歳引下げ、原則55歳とする(定年年齢が65歳と定められている職員は57歳)。
 なお、経過措置については、国の制度を基本としつつ、本府の実情等も踏まえながら、別途検討し協議する。

3、実施時期
 平成13年4月1日

通勤経路認定で当局提案
7月末めどに意見集約
自治労府職

府当局は7月7日、「南海高野線及び泉北高速鉄道等を利用者の通勤手当支給に伴う通勤経路認定の取り扱い」についての提案を行った。
 従来から通勤経路の認定にあたっては「通勤時間、乗り換え回数、費用」を総合的に勘案し認定してきたが、今回の見直しは、「路線の延伸等により、乗り継ぎ可能となった路線について今回考え方を整理したい」との説明であった。
 提案の際、当局とのやりとりの中で「認定にあたっての従来からの考え方について変更はしない。また具体の認定にあたっては、今回示した考え方に基づき、総合的に個々判断する」との考え方を示した。当局は9月末を目途に協議終了するとしており、自治労府職は今後、具体事例の提示など、職場での意見集約を7月末をめどに行い、交渉を強化する。

当局提案へ


沖縄平和行進「行進通じて本当の沖縄を実感、県民との連帯運動を続けたい」
第5回参加者の声   社会保険支部  福永竜一

沖縄平和行進に初めて参加しました。わたし達は名護市をスタートし、沖縄本島の西海岸沿いを宜野湾市まで約70キロを3日間で行進しました。
 行進初日は米軍基地はなく、きれいな海を見ながら名護市から恩納村までの約32キロを行進しました。
 2日目は、恩納村から読谷村までの約24キロを行進し、初日とはうってかわり本当の「沖縄」の姿を見ることができました。読谷村には住民が非業の死を遂げた「チビチリガマ」や「象のオリ」と言われる楚辺通信所や「トリイ基地」がありました。
 また、同村の役場はパラシュート演習が行われる補助飛行場の一角にあり、初めは何でこんな所に役場があるのか不思議でしたが、話を聞くと返還されていない基地の中に公共施設をつくることによって事実上の返還を勝ち取るという新しい形態であることを知りました。
 最終日は嘉手納町役場前を出発し、「5・15平和とくらしを守る県民大会」が開かれる宜野湾市までの約14キロを行進しました。
 出発してすぐに極東最大の空軍基地である嘉手納基地の横を通りました。嘉手納基地は同町の面積の84%を占有し、米軍と住民が主客逆転した基地であり、「米軍最大の弾薬庫」と呼ばれる弾薬庫もあります。
 住民は、毎日嘉手納基地の騒音や、いつ起きてもおかしくない軍用機の墜落におびえながら生活をしています。3日間の行進で、本当の「沖縄」を知ることができました。
 日本全土の約6%にしかすぎない狭い沖縄に、復帰後27年たったいまも在日米軍基地の75%が沖縄にあり、自分の足で目で沖縄の今を確かめることができ、とてもよい経験をしました。日ごろ基地とは無関係に生活しているわたし達ですが、この現状をしっかり知って、沖縄県民とともに闘い続けることが大切だと思います。